ちょっとそこまでの世界

ちょっとそこまでの世界(私の周り)について

「視点の異なる友人」を想像して辿る

f:id:takopon63:20210324110441p:plain


今日の紹介本

ここじゃない世界に行きたかった (文春e-book)
 

 塩谷さんという方のエッセイです。
塩谷さんのことは、Twitterでたまたまお見かけした方。
素敵な文章を書かれるので勝手にフォローさせていただいてるだけです。
お手に取る際には、是非紙の本を買うことをお勧めします。

塩谷さんという「視点の異なる友人」を想像して、彼女の頭の中を辿ることができる、そんなエッセイでした。
そんな「視点の異なる友人」の考えを辿り、私の考えたことをつらつらと書いていこうと思います。

本音をインターネットに置くということ

インターネットが登場する以前は、本音は心の中にしかなかったように思う。
自分がしゃべらない限り、誰にも知りえなかった本音。
塩谷さんの言う「本音をインターネットに置く」という感覚は、ネット時代ならではだなと改めて思った。

私たちの生活には、家庭、職場、学校など様々な世界があり、
嘘とか建前ではなくて、それぞれの場所で自分と言う役割を担っているような気がする。
そういった様々な世界の縛りから解放されて一人になったとき、
一人で考え事をしているときなんかに本音は出てくる。
その本音は、どこの世界における私とも違っていて、
昔はそんな本音は心の奥底にあるだけで、さらけ出す場所なんてなかった。

でもインターネットの登場で、心の内なる声を誰かに向けて発信することができるようになった。
どの世界とも違った私が、本音を語り、インターネットという世界でつながりだす。
SNSなどで自分の本音を通して誰かと心を通わすことができる。
現実の様々な世界とはまた違った感覚を持つ人たちと出会える。
そこにSNSのおもしろさを感じる。
インターネットに本音を置くことで、新たな世界を知るきっかけを掴めて嬉しく思う。

美しくあること

塩谷さんは、美しくあることについて次のように述べていた。

美しくあることとはつまり、どう生きるか?という自分への問いかけであるのだ。

(中略)

美しさの定義は、懸命に生きる人の数だけ多様化していく。(p57-58)

この部分を読んで、そういうことだったのかと腑に落ちた。
美しさというのは本当に人それぞれで、たった一つの正しい答えはないと思っていた。
でもそれがなぜなのかは考えたことがなかった。
どう生きるかという問いかけが美しさであるから、美しさは多様化していく。
そうして多様化して、細分化された、ニッチな美しさを発信していき、
「私も美しいと思う」といった共感を得られたならば、最高に幸せなんじゃないか。
私は作り手ではないけれど、作り手の人の幸せってそういうところにあるのかもしれない。
自分の思う美しさを追及して追及して、何かで表現する。
それを見てニッチな世界に共感してくれる人がいる。
そこに幸せを感じるんじゃないかと。

そうであれば、ニッチな美しさに対して、鑑賞者である私が美しさを感じたならば、
それも最高に幸せなわけで。
美しくあることを追及する人と、観る人の重なり合いがあるから
美しさを求める双方向の世界があり続けるんだろうなと思った。

ここじゃない世界とは

誰しもこの世界から抜け出して、どこか遠い違う世界に行きたいとか、
やり直したいとか思ったことはあるんじゃないか。
私は高校生の時に1年間留学したことがあるけれど、外国は、当たり前だけど
日本じゃない世界だった。
私のことなんて誰も知らない世界。この新しい世界でなら何でもできそうな気がした。

でも、「ここじゃない世界」も、しばらく経てば私の「ここ」という世界になり、
結局日本にいたときと同じような問題に直面した。
目に見えるの景色はこんなに違うのに、抱える問題は日本にいたときと同じだった。

どこに行っても、塩谷さんの言うところの「理想郷は存在しない」。
いつだって「自分でやるしかない」し、「自らの手で、小さな理想郷をこしらえていく」必要がある。
そうやって自らの手で作る小さな理想郷は、私の中で美しくあることと重なりあった。
自分への問いかけを通して、小さな理想郷は「ここじゃない世界」になっていくんだなと。

本書のラスト数行はとても美しい文章だった。
私なんかのブログで引用するにはもったいないので、
ぜひ紙の本で手に取って、静かな夜に塩谷さんの考えを辿ってみてほしい。